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40年前です、これを聞いたのは。最高に斬新でしたね。
私が四人囃子を初めて見たときは、すでに中村氏のベースではなかった。このライブを聞くと佐久間氏のベースも正確でいいけれど、元祖の4人が紡ぐグルーヴ感は凄まじい!すごいバンドだったなぁと改めて実感!
この頃の日本のロック、素晴らしいです。外国の真似でない、日本の音だと思います。
森園さん…やっぱり上手いし、センス凄いし。てかホンマに凄いわ。
1975年のワールドロックフェスで、一触即発のサビを聞きながら、電車の関係で後楽園球場をあとにした思い出があります。最後まで聞きたかったな
この緊張感・・・すげぇ!
この75年に、ディープ・パープル(ギターはケガとラリパッパでひどかったトミー・ボーリンね)の武道館公演行った。前座(事前発表はされない)がなんと四人囃子で観客は大喜びだったよ。で、一触即発ほか演奏が凄すぎて、その後のパープルのひどさ(すべてボーリンのせいね)がどうでもよくなったのをよく覚えている。もしあの時、彼らが演奏していなかったら、観客怒ったと思うよ。サンキュー、四人囃子、あの時も最高でした!
さん、凄い貴重な体験ですねそれは忘れらないですね
前座とメインを入れ替え
77年、リッチーブラックモアズ(これが正式名称”)・レインボーの武道館公演も、オープニング・アクト(当時そう称していたかは記憶不確かですが・・)は四人囃子でした!ただ、一触即発は演らなかったのでは?なすのちゃわんやき、は覚えていますが・・・。
@@ほせだまてら 弟円盤かなぁ
あの時のディープ・パープルは酷いのはメンバー全員。来日前に既に消耗した状態であり、ヤル気が無い古参2名と、薬物に溺れ各々のエゴ丸出しでプレイする新参2名。そして逆風の状況に圧倒されてさらに2名より酷い中毒になってしまったボーリン。死人に口無しで責任転嫁されがちなトミー・ボーリンだが最悪な状況下でも善処しようとしているし自身のソロコーナーでは果敢にプレイしている。
もっと早く産まれていたかったです
こんなの聞いたらCD聞けなくなるって。。。
ベーシストめっちゃうまいな
うまいとしたら中村真一さんです。初代のベーシストです。二代目の故S氏はお世辞にもうまいとは言えなかったですが,原曲のイメージが壊れないように努力されていたと思います。しかし,本当の四人囃子はメジャーデビューする前のエコー(アナログの3ヘッドテープエコーです)がんがんにかけていたころの姿だと思うのですが,そんなことを知っている人はもう何人もいないでしょう。FM東京で六本木俳優座劇場でやったライブ(ジプシーブラッドと寺田十三夫と信天翁との3バンド出場)の一色触発を放送しましたが,これは本当にエコーガンガンのデビュー前の美しい音でした。今これが世に出れば世界は変わると思います。
@@saxophone6740 一色触発ではなく「一触即発」だろ‼偉そうに蘊蓄たれるなら曲名もちゃんと書けよ!
@@saxophone6740 あっさり会社員選んだよね。野球が好きだった筈
この写真はワンステップフェスで発煙筒によるもの。会場に居たのを思い出す。
若かったです。俺も、Rockも。
回転、速ぐね?
日本プログレシブロックの師匠的存在。次作『ゴールデンピクニックス』で、伝説になる。
'74年に大宮で見ましたわ。わし、中坊ながらパープル、キャロルのコピーやってモテてましたけど、四人囃子さん見て、オリジナルで勝負できなきゃプロにはなれんとつくづく思いましたわ。後年、和田アキラ氏ギターのプリズム見ましたけど、森園さんのギターのほうがよかったわ~ところで「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」はないの?
Muito bom.bons instrumentos
これは中村さん?ベースめっちゃいいですねぇ
あたちクリムゾンとフロイドちか、ちらなかった。一触即発聴いちぇ、ショック映像ないのでちゅかかなちいからバイブ
イントロが、プロレスラーの入場曲にしか聴こえない
日本のロックに商業的着地点が見えない時期であり和製○として英米バンドの代替品としての需要しか無い時代コンプレックス丸出しなところと日本的表現が絶妙に同居している
40年前です、これを聞いたのは。最高に斬新でしたね。
私が四人囃子を初めて見たときは、すでに中村氏のベースではなかった。このライブを聞くと佐久間氏のベースも正確でいいけれど、元祖の4人が紡ぐグルーヴ感は凄まじい!すごいバンドだったなぁと改めて実感!
この頃の日本のロック、素晴らしいです。外国の真似でない、日本の音だと思います。
森園さん…やっぱり上手いし、センス凄いし。てかホンマに凄いわ。
1975年のワールドロックフェスで、一触即発のサビを聞きながら、電車の関係で後楽園球場をあとにした思い出があります。最後まで聞きたかったな
この緊張感・・・すげぇ!
この75年に、ディープ・パープル(ギターはケガとラリパッパでひどかったトミー・ボーリンね)の武道館公演行った。前座(事前発表はされない)がなんと四人囃子で観客は大喜びだったよ。で、一触即発ほか演奏が凄すぎて、その後のパープルのひどさ(すべてボーリンのせいね)がどうでもよくなったのをよく覚えている。もしあの時、彼らが演奏していなかったら、観客怒ったと思うよ。サンキュー、四人囃子、あの時も最高でした!
さん、凄い貴重な体験ですねそれは忘れらないですね
前座とメインを入れ替え
77年、リッチーブラックモアズ(これが正式名称”)・レインボーの武道館公演も、
オープニング・アクト(当時そう称していたかは記憶不確かですが・・)は四人囃子でした!
ただ、一触即発は演らなかったのでは?なすのちゃわんやき、は覚えていますが・・・。
@@ほせだまてら 弟円盤かなぁ
あの時のディープ・パープルは酷いのはメンバー全員。
来日前に既に消耗した状態であり、
ヤル気が無い古参2名と、薬物に溺れ各々のエゴ丸出しでプレイする新参2名。
そして逆風の状況に圧倒されてさらに2名より酷い中毒になってしまったボーリン。
死人に口無しで責任転嫁されがちなトミー・ボーリンだが最悪な状況下でも善処しようとしているし自身のソロコーナーでは果敢にプレイしている。
もっと早く産まれていたかったです
こんなの聞いたらCD聞けなくなるって。。。
ベーシストめっちゃうまいな
うまいとしたら中村真一さんです。初代のベーシストです。二代目の故S氏はお世辞にもうまいとは言えなかったですが,原曲のイメージが壊れないように努力されていたと思います。
しかし,本当の四人囃子はメジャーデビューする前のエコー(アナログの3ヘッドテープエコーです)がんがんにかけていたころの姿だと思うのですが,そんなことを知っている人はもう何人もいないでしょう。FM東京で六本木俳優座劇場でやったライブ(ジプシーブラッドと寺田十三夫と信天翁との3バンド出場)の一色触発を放送しましたが,これは本当にエコーガンガンのデビュー前の美しい音でした。今これが世に出れば世界は変わると思います。
@@saxophone6740 一色触発ではなく「一触即発」だろ‼偉そうに蘊蓄たれるなら曲名もちゃんと書けよ!
@@saxophone6740 あっさり会社員選んだよね。野球が好きだった筈
この写真はワンステップフェスで発煙筒によるもの。会場に居たのを思い出す。
若かったです。俺も、Rockも。
回転、速ぐね?
日本プログレシブロックの師匠的存在。
次作『ゴールデンピクニックス』で、伝説になる。
'74年に大宮で見ましたわ。わし、中坊ながらパープル、キャロルのコピー
やってモテてましたけど、四人囃子さん見て、オリジナルで勝負できなきゃ
プロにはなれんとつくづく思いましたわ。後年、和田アキラ氏ギターの
プリズム見ましたけど、森園さんのギターのほうがよかったわ~
ところで「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」はないの?
Muito bom.bons instrumentos
これは中村さん?ベースめっちゃいいですねぇ
あたちクリムゾンと
フロイドちか、ちら
なかった。一触即発
聴いちぇ、ショック
映像ないのでちゅか
かなちいからバイブ
イントロが、プロレスラーの入場曲にしか聴こえない
日本のロックに商業的着地点が見えない時期であり
和製○として英米バンドの代替品としての需要しか無い時代
コンプレックス丸出しなところと日本的表現が絶妙に同居している